春日神社の由緒
天徳2年(958)この地域に国府があった頃、奈良の平城京から来た国司 藤原朝臣為信が奈良の三笠山にとても似ている蜂ヶ嶺(現在の春日山)山頂に故郷を偲び、また国府全域の鎮護の神として春日大社の御分霊を祀り、社を建立しました。その後、越後守護 上杉憲栄が砦を築城、守護代 長尾高景の増築整備により山上から麓の現在地に遷座しました。神社の右下の広場(監物堀)は春日山城の正門(櫓門)があり、城から門の方角が鬼門(北東)ゆえ、鬼門鎮護、城の総鎮守として大切に護持されて来ました。また、遷座する時、神社の名を残し蜂ヶ嶺から春日山にしました。
春日神社は文献上(朝野群載)の記録によれば、奈良の春日大社のご分霊を祀る地方社として最初に出てくる神社でもあります(全国春日連合会刊「春日の神がみ」)。神社は春日山山上(本丸跡)に約500年、麓の現在地に遷座して約600年の歴史があります。ご祭神は春日大社の四柱、相殿に謙信公が崇拝した天神様(菅原道真公)が祀られています。
現在参道となっている一ノ鳥居から二ノ烏居の間は謙信公時代の道であります。謙信公は関東出陣、川中島出陣等の時、この道を通り、神社に祈願し魯門から出陣して行きました。
毎年、4月22日は春季例大祭です。謙信公時代から続いている巡幸は神輿と山車5基が旧城下町を練り歩きます。その様子は勇壮な時代絵巻を見ているようです。
歴史年表
| 西暦 | 和暦(元号) | 出来事 |
|---|---|---|
| 958年 | 天徳 2年 | 蜂ヶ嶺(春日山頂上本丸跡)に国司 藤原朝臣為信が建立。 |
| 1362年 | 貞冶年間 | 守護 上杉憲栄は蜂ヶ嶺に砦の築城のため、山上の春日神社を西北(お花畑付近)に遷座する。 |
| 1381年 | 永徳年間 | 守護代 長尾高景は蜂ヶ嶺の砦を増築するため、春日神社を山麓の現在地に遷座する。この時、神社の名を残し蜂ヶ嶺から春日山となる。 |
| 1530年 | 享禄 3年 | 謙信公(長尾為景の8男)誕生。 |
| 1548年 | 天文17年 | 謙信公、長尾家の家督を継ぎ春日山城主となる。 |
| 以後、謙信公は関東出陣、川中島出陣で春日神社に必勝祈願、帰城にはお礼参拝をする。 | ||
| 1578年 | 天正 6年 | 謙信公逝去。嫡子 景勝と景虎の家督争い「御舘の乱」始まる。 春日神社はどちらにも組せず。 |
| 1598年 | 慶長 3年 | 上杉景勝公、会津に移封。春日神社も会津に遷座したい旨あるが宮司断る。 城門(櫓門)付近の小高い丘にあった天神社を春日神社に合祀する。 福井北の庄より堀秀治が春日山城主となる。 |
| 1600年 | 慶長 5年 | 堀秀治、福島城を築城するにあたり、春日新田にご分霊を祀り、神楽を奉納した後、春日神社を建立。 |
| 1607年 | 慶長12年 | 堀忠俊が福島城へ移城、春日山城が廃城となる。春日神社は今までの庇護がなくなる。村の鎮守神社となる。 |
| 1611年 | 慶長16年 | 松平忠輝の4家老より50石の寄進状。 この頃より4町内(春日、大豆、谷愛宕、中門前)の氏神となる。 |
| 1614年 | 慶長19年 | 福島城主 松平忠輝は高田城を築城するにあたり、春日新田春日神社のご分霊を高田に祀り、神楽を奉納した後、春日神社(本町1) を建立。 |
| 1648年 | 慶安元年 | 徳川家光より50石の朱印地を賜わる。以後、歴代将軍より明冶時代まで朱印地を賜わる。 |
| 1830年 | 天保年間 | 社殿消失する(参道の杉並木を伐採し、社殿建築する)。 神輿は京都より北前船にて運搬。 |
| 1871年 | 明治4年 | 朱印地50石を明治政府に返納。 |
| 2009年 | 平成21年 | 奈良の春日大社花山院弘匡宮司以下全員参拝。 |
| 2020年 | 令和2年 | 神社は200年ぶりに改築、新社殿完成。 |
| 2024年 | 令和6年 | 第46代宮司 風間常樹彦、神職身分特級を賜わる。 |
| 2026年 | 令和8年 | 第61回全国春日連合会を春日神社にて開催(全国の春日神社関係者参集)。 |